修論で病んでギリギリのところで何とかなった話

0.要旨

生来のメンタルの弱さと己の研究者としての未熟さが修論期のプレッシャーと不幸な形で噛み合ってしまい、提出直前に完全に病んでしまった。

 

大学の精神科に駆け込んで全面的なメンタルケアを受け結果的にはギリギリのところで何とかなったのだが、色々と反省の多いものとなってしまったのでここに記しておく。

 

1.背景

元々マイナス思考になりがちでその癖完璧主義であったため、高い理想を掲げては現実の自分との落差で凹むというのをよくやっていた。

 

またM1までは褒め上手な上司が直上についており研究の進行度合いからメンタルケアまで様々にお世話になったのだが、その人が去ってから気軽な質問を誰にすべきか分からなくなってしまった。

 

加えて自分は勉強以外のあらゆることが苦手で、自分の価値は研究にしか無いと長く自分に言い聞かせていたのも凶悪な呪いとなった。

 

そもそも勉強ができるからといって研究ができるわけではないのだが、そういうことも今回の一件でようやく学んだのだった。

2.結果と考察

修論のまとめに取り掛かり始めた12月頃から精神が物凄い勢いで疲弊していった。単純なプレッシャーやタスク量の問題よりも、これまで取ってきたデータの質の悪さを直視して自己嫌悪に陥ったのが大きかった。

 

また直前期でありながら修論で展開しようとしていた議論の方向性についてかなり厳しいことを上から言われてしまい、とてつもない焦りに苛まれて冷静さを失ってしまった。

 

議論の方向性に問題が生じたのならすべきことは上司とのディスカッション一択なのだが、何を血迷ったのか当時の自分はひたすらに測定を繰り返してデータを増やそうと躍起になった。

 

年末になる頃には絶えず不安感、焦燥感、自己嫌悪に包まれるようになり、精神的な疲弊は苦痛に発展してきた。

研究と関係あることだろうがそうでなかろうが些細な出来事を引き金に悪い方向に思考が回りはじめ、悪い結論を勝手に導いて精神状態の悪化が加速度的に進行していった。また思考の渦は自分の意志で制御できず勝手に回り始めるので、常に脳のCPUが使用率100%になりただ生きているだけで非常に疲れるようになった。

また脳のCPUが使用率100%なので他の必要な思考が全く回らず、冷静さを常に欠くようになった。

思考を止めなければならない、無用な心配はやめて建設的な思考と少しの前向きな気持ちに切り替えなければならないと自分に言い聞かせても、自分の中に渦巻く感情が自分の理性の呼びかけに答えなくなっていた。

 

この時点で自分でも異常な苦痛に苛まれているとは自覚していたが、どうにも自分の中に苦労礼賛主義の欠片のようなものがあったらしく、この苦労を乗り越えてこそ一人前の修士になれると思っていた。修論発表を終えるまで2か月程度の辛抱だと考えてずっと我慢していた。

 

実験中に不意に涙が溢れてきても、サンプルを持つ手の震えが止まらなくなっても、せいぜい一過性の苦労だと自分に言い聞かせて堪えようとしていた。

 

冷静に考えてみれば、そのレベルで行動に支障が出ているのにまともに実験や執筆が進むわけがない。だがそんな判断もできないくらいに精神的な余裕を失っていた。

 

当然のように取りたかったデータは取れず、論文の方も指摘された修正が追い付かなくなっていった。一方で状況の悪さについては正確に(或いは過剰に)把握できていたため、焦りと自己嫌悪が精神の疲労を一層加速させていった。

 

要旨提出の直前にはもうパソコンを開いてもまともに作業ができず、ただ画面を見つめてため息をつくだけで手が全く動かないようになってしまっていた。

 

それでもまだ我慢できると、しなければならないと自分で思い込んで自分をさらに追い込んでいった。自分の手が動かないのは、動かないのではなく動かしていないだけだと自分に言い聞かせた。自分が本当に極限状態にあるのではなく、自分を悲劇のヒロイン(男性だが)に見立てて妥協点を無意識に探しているだけなのだと思い込んでいた。

 

そもそもタスクと自分のキャパを見比べて妥協点を探すというのは悪いことではないのだが、自身の学生生活の総括たる修論においては兎に角命を削っても最善を尽くさなければならないと思い込んでいた。

 

だが、「まだ頑張らなければならない」という義務感に対して「もう頑張れない」という体や心の悲鳴も無視できなくなっていた。

 

自分の掲げる理想と実際の能力の限界の大きすぎる乖離に折り合いが付けられず、自分の中に軸を失ってしまった。

 

 

睡眠がまともに取れなくなった。

夜中に4度ほど目が覚めるようになった。

睡眠がぶつ切りになるので、布団の中にいる時間は9時間を超えていたのに全く体が休まっていなかった。徹夜明けによくある脳に霞がかかったような不快感と全身の鈍痛を何日も引きずって無理に研究室に向かった。

 

飯が食えなくなった。

1日一食ですらまともに箸が進まなくなった。

24時間まともに食事を摂っていないのに一度も空腹を感じず、これはまずいと思って無理に食べ物を口に運んでも食べ物を食べ物と認識できなくなっていた。

味のある異物が口の中にあるとしか思えなかった。

 

要旨を提出した直後、本文提出までもう10日もない頃のことだった。

 

流石にここに来てもう無理だと悟った。

 

生命維持すらまともにできなくなって、ついにもう頑張ることはできないという見解で乖離しかけていた自己の人格が一致した。

 

この時点では最早生きる気力すら満足に持ち合わせていなかったのだが、精神的・肉体的な苦痛から解放されたくて大学の精神科を頼ることにした。

 

 

ここから先は幸運なことに事態が好転することになる。

第一に予約制だった精神科は赴いた翌日に予約を取ることができた。

第二に精神科で処方された抗不安剤睡眠薬がどちらも劇的に効果を発揮し、悲観的な思考を断ち切ると共に十分な食事と睡眠が取れるようになった。

第三に精神科医の仲介のもと指導教官との面談を行い、現時点でも修士論文は提出可能な水準にあるからもう無理をしなくて良いというコメントを頂いた。

 

というわけでこれまで散々苦しんだのに対して精神科に行って以降はかなりあっさりと修士論文提出まで完遂した。

自分でも終わった直後は何か肩透かしでも食らったような感覚があったが、実際のところ指導教官との面談を行ったのは本文提出の5日前であり、食事も睡眠も取れなくなっていたあたりあと少し行動が遅れていたら全く違う結末になっていたと思う。

 

3.総括、というか反省

自分の一番の問題は上司や先輩とのディスカッションに消極的だったことだと考えている。俗にいう「コミュ障」というやつで、人に質問する方法が分からなかった。

 

「質問する方法が分からない」という状況が分からない人も多いと思うが、どういうタイミングで話しかけるべきか、口頭かメールかスラックのどれが良いのか、話はどう切り出せば良いのか、話はどこまで整理しておけば良いのかということが自分はいつも分からなくなる。

こういう点に関しておそらく多くの人は無意識のうちに常識的な作法を身に着けていると思うのだが、自分はその常識が分からず時には話しかけた相手を困惑させてしまうこともあった(と自分では思い込んでいる)。

相手を困惑させてしまう(という思い込みかもしれない。怖くて確認できていない)ことを恐れて他人に話しかけるのを先送りにしてしまい、それを正当化するために自分に言い訳をしていた。修士課程においては「修士号を取ろうとするならこの程度の問題は自分で解決しなければならない」と自分に言い聞かせることが多かった。

 

今にして思えば独力で万事に当たるのは別に褒められたことではなく、主体的に問題に取り組みつつも必要に応じて周囲に助力を乞うのが研究者としてのあるべき姿なのだろう。

質問をするのが苦手と言っても、それは社会に出た後も必須の能力である。ならばこそ学生という失敗が(ある程度)許される身分のうちに沢山の質問をして、適切な質問の仕方というものを学んでおくべきだった。

 

まあ今更悔いても仕方ない。自分の欠点の中で特に致命的なものを洗い出せたというだけで、十分な収穫であると考えよう。

 

2番目の反省として、自分の精神的な疲弊を過少評価していた。

 

精神的な疲弊の主因が自分の不手際にあったためその対応を他人に頼むことをかなり躊躇していたのだが、自分で抱え込んだところで解決するものは何も無かった。

また精神的な消耗は肉体的なものに比べて当人ですら正確な把握が難しい。飯が食えなくなるその日まで、命に係わるレベルのものではないと高を括っていた。

結局自分がダウンするだけでなく、修論添削やら卒論添削やらでお忙しい指導教官に急遽面談の予定を空けていただくことになってしまったので見込違いも良いところである。

 

最適な心構えというのは人によって変わるだろうが、自分の場合自分に厳しくして無意味に消耗してしまうのでもう少し自分に優しく生きても良いのかもしれないと思った。あと精神科やカウンセリングには気軽に行こう。腹痛が2日続いたら病院に行きたくなるように、数日間ずっと気が晴れなかったらその時点で恐らく自分で対処できるものではない。

 

 

ブログを書くのは初めてなのでどう締めるべきかよく分からないのだが、下手にカッコつけて永遠に投稿できなくなるのも嫌なのでここで区切る。

願わくはここで得た反省が4月からの新生活で活用されんことを。


追記:卒業前最後の精神科に行ったら、適応障害だったと言われた。病名の有無で症状が変わるわけではないけれど、もう少し早く言って欲しかった……